囲い込み

どの企業も囲い込みをしたがる。
MP3の前の音楽産業に感じた。
PCもWindows95あたりから感じた。
スマホも顕著に感じる。
Windowsへも最近囲い込みを感じる。
Appleは囲い込みそのもの。
任天堂にも感じたことがある。
NVIDIAは囲い込み以上に革ジャンさんが私に参入を阻んだ。
TESLAなんて東洋の臭いもさせつつ生意気だと私にいってきたほど。
インターネットも結局場所によって情報の囲い込み(検閲を含む)が起きているらしい。
私は悪いもの・弱いもの・獣扱いだから、昭和の時代に地方の大人を東京に連れて行ったり、アメリカで会った時、自由や個性を私へこのように表現する人もいるのだなぁと思わされたことが多い。
日本人だけなのか、世界中そうなのかわからないけれど、自分に囲い込むことが人の性だとがっかりさせられた。
当の私は実は「悪くないけれどやりすぎ」なだけ。
やりすぎる根拠も「自由」にないけれど。
世の中の仕組みが譲ることを前提になってないね、と気づいたような気づいてないような。
「言わなければわからない」
を前提になっているけれど、言って譲られるならば言うことは譲られるためになってしまう。
援助がほしい時は、助けられたいので譲られたいとは異なるけれど、自分の力ではどうにもならないときに、力を譲られたいと思ってしまうのは言語力の低さで済ませていいのかどうなのか。
例えば生活力が無いとされる生活保護受給者は借金禁止らしいけれど、生活力が安定しない人も含まれるから、福祉系の借金の仕組みもあるけれど、上限があることはよろしくない面もあるでしょう。
実際に無いことだが、住宅確保に一人あたり一億円も支給しなくて良いと思う。
囲い込みとは範囲の設定のことだとすれば、下限、上限が曖昧でも良いと思う。
減税を公平にするため、
「4万円以上絶対に納税すれば4万円の減税をする」
という昭和や平成の考え方を抜けて、労働者はきっちり4万円減税するということになった。
片方で労働者でないかたも給付金を受け取った。
そういう方向が福祉的で最近良い雰囲気だと思う。
私はやりすぎないことで余裕を持ちぎりぎりまで不健康に近づくことをやめたい。
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